「バッハを歌う喜び」

玉澤武之(阿佐ヶ谷教会) 

 2月に迫ったバッハの「ミサ曲ロ短調」のコンサートを控えて、緊張と期待のはざまにある。

指揮者の大島博先生は、この曲は音楽史上最高傑作の一つであると言う。楽曲のスケールが大きく、対位法による曲は、どのパートも美しいハーモニーなので何回でも歌いたいと思う人が多い。

 9年前に全ての仕事を終えて帰京した時に、ドイツへ演奏旅行を行うと誘われて、J・S バッハを中心に取り上げる宗研合唱団に入った。2004年にドイツ、アイゼナハのゲオルゲン教会とライプチヒのニコライ教会での演奏会とトーマス教会でのバッハの墓前での演奏を。2007年にアイゼナハとヴァイマールのフェデラー教会。2010年にはアイゼナハとヴィッテンベルクの城教会での演奏など3回の演奏旅行を行うことができた。アイゼナハのゲオルゲン教会は、少年M・ルターが3年間名門の教会立ラテン語学校に学び、100年後にバッハが生まれ2日目に洗礼を受けた。また、郊外のヴァルトブルク城は、ルターがヴォルムスの国会で破門され帰国の途上ここに匿われ、1年弱で新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳した処である。ルターが悪魔にインク壷を投げつけた逸話は子供の頃から聞いており一度訪ねたかった場所であった。ライプチヒやヴァイマールもバッハ縁の地で、ニコライ教会の小さな平和の祈祷会は、国民の不満を引き受け大きなうねりとなって東ドイツの開放を実現させたのである。

 特に3回目のアイゼナッハとルターの本拠地のヴィッテンベルクの城教会での演奏には、バッハの教会カンタータ第80番の「神はわが堅き砦」(両教会の正面にはこのドイツ語の言葉が掲げられている)、「ト短調ミサ」などを持って行った。城教会は、1517年にルターが95カ条の提題を掲げ宗教改革が始まった教会であり、祭壇前にはルターの墓がある。演奏会は成功し満場のヴィッテンベルクの人たちから暖かい拍手をいただいた。また、ルターが生まれ、逝去したアイスレーベンも訪ねた。ルターやバッハの縁の場所で、彼らの音楽を歌えることは何者にも変えられない喜びがあった。これらの都市では2017年の旗が掲げられ、宗教改革500年の記念行事の準備が始まっている。

その後、オーバーアマガウに行き10年に1度行われる有名な「受難劇」を観た。5千人の町で2千人を超える町民が出演する5時間の受難劇は完成度が高く、幼少の時から何度も出演するために準備をしている町民の熱意が伝わった。この受難劇は満席のなか半年間上演され、世界中から観客が集まる。

 学生時代から聖歌隊に加わっていたがバッハの音楽が一番だと思っている。この9年間に沢山に教会カンタータ、モテット、ヨハネ受難曲やクリスマスオラトリオなどを歌って、ロ短調ミサを歌うことになった。ルターとバッハのプロテスタント教会音楽の頂点である音楽に触れる喜びは何にも変えがたい。バッハには2百曲ものカンタータや多くの名曲があるので、歌える限り続けて行きたいものである。