日時: 2015228日(土)午後2~4

講演: 「ホスピスの経験からみるスピリチュアルケア -弱さの中の輝きー」

講師: 窪寺俊之先生(聖学院大学人間福祉学部教授・牧師)

場所: 日本基督教団吉祥寺教会(武蔵野市吉祥寺本町2-14-19

 

講師プロフィール

1939年東京生まれ。

埼玉大学、東京都立大学大学院に学び、米国ジョージア州エモリー大学神学部(M.Div)、コ

ロンビア神学大学院
(M.Th)に学ぶ。博士(人間科学、大阪大学)、元関西学院大学大学院神学

研究科教授(牧会カウンセリング、死生学)現在聖学院大学大学院人間福祉学科教授(スピリ

チュアルケア学特論)こども心理学科長

元、淀川キリスト教病院伝道部長、チャプレン

元、米国ヴァージニア州リッチモンド記念病院チャプレン

日本臨床死生学会常任理事、日本スピリチュアルケア学会理事、日本ホスピス・緩和ケア研究

教育振興財団評議員、淀川キリスト教病院理事、上智大学グリーフケア研究所客員所員等

著書、訳書:「スピリチュアルケア入門」(三輪書店)、「スピリチュアルケア学序説・同概説」(三輪書店)、「スピリチュアルケアを語る」(共著 関西学院大学出版会)、「魂への配慮」(訳書 日本基督教団出版局)、「愛に基づくスピリチュアルケア」(共著 聖学院大学出版会)等多数。

 2015228日(土)に吉祥寺教会に於いて行われた講演会には、23教会94名の教区内教会

の教職、信徒等が出席しました。窪寺俊之先生は、日本における死生学、スピリチュアルケア

研究の第
1人者の一人でありますが、特にホスピスでの経験から死に臨んだ人々の魂と聖書が

語る慰め、救いについて語られ、多くの聴衆に感動と共感を与えました。講演の概要は以下の

通りです。

 

 今日の講演題「ホスピスの経験からみるスピリチュアルケア ―弱さの中の輝きー」には、

三つのキーワードがあります。「ホスピス」、「スピリチュアルケア」と「弱さ」です。今日

のテーマの中心は終末期ガンの患者さんですが、専門家の判断で余命半年迄の完治の難しい患

者さんです。日本では
3分の1の人はガンで亡くなり、年間20万人位と言われています。ガン

治療は外科手術、抗ガン剤、放射線治療などがありますが、これらの治療法でも治らないと診

断されると、ガン患者は大きな病院から小さな病院に送られます。現代医療は治療が中心です

ので、完治が不可能だと診断されると高機能病院ではやるべきことは皆やった言って患者さん

は退院となります。患者さんは見捨てられたと感じます。大病院では治る見込みのない患者を

長く置けない事情からです。

ホスピスの役割

シシリー・ソンダース医師は1967年にロンドンの東南部に「セント・クリストファー・ホス

ピス」を創設しました。ホスピスはホスピタリティーが語源で「温かく迎える、マントを掛け

る」という意味です。ソンダース医師は看護師でしたが末期がん患者が何の手立てもなく苦痛

の中死んでゆく実情を考え
40歳代に医師となり緩和ケアを行う施設としての「ホスピス」を創

ったのです。ホスピスでは、治療ではなく苦痛の緩和を目的とします。緩和医療は、肉体的苦

痛、精神的苦痛、社会的苦痛及び霊的苦痛(スピリチュアルペイン)を緩和することです。1

984年に淀川キリスト教病院にホスピスが誕生しましたが、私は
1986年に病院のチャプレン

になりました。ガンによる疼痛は人格を変えてしまう程に痛いものです。私がチャップレンに

なった頃ブロンプトンという薬ができました。3時間位効果がある鎮痛剤(飲み薬)です。
3

時間位疼痛緩和できることは患者さんには大きな救いでした。しかし、
3時間毎、夜中でも飲

まなければなりません。その後、鎮痛剤を点滴に入れて携帯できて出歩けるようになり、今で

は胸に貼るパッチ状の膏薬ができ、効果が
1週間あるので日常的活動ができるようになってい

ます。それでも
10%位の患者さんは神経の交叉部分等のガンがあって、どうしても苦痛緩和が

できないようです。この場合は、ご本人や家族と相談して、意識レベルを下げて苦痛を和らげ

ることもあります。肉体的痛みの問題は多くのケースでコントロールできるようになりました。

 スピリチュアルケア

精神的な苦痛も、ガンにつきまといます。ガン患者さんの多くは「何故、自分が、、、こん

な苦しみを負わなくてはならないのか」と嘆きます。「何故、私は特別悪いことをしていない

のに」と悩みます。このような苦しみのなかで、聖書は本当の助けを与えてくれます。御言葉

は苦しんでいる人を慰め希望を与えます。

40歳代の元キャビン・アテンダントの女性が末期ガンで入院しました。子供が2人おられ、

絶望の中におりました。カトリック系のミッションスクール出身でした。話を聞いているうち

に神父様に会いたいと言われましたので、神父様に関わっていただきました。患者さんは神父

様と聖書を読み讃美歌を歌う中で心が開かれました。健康な時、彼女は自分の人生は自ら切り

開くものだと信じて、自分なりに努力してきたと言います。しかし、ガンになってみて苦しか

ったのは、自分の努力だけでは人生が開けないことでした。その時、「自分、自分」と言って

いた自分が傲慢だったと気づいたと言います。そしてキリストの救いに戻れることに心が開か

れました。神様の存在に気付くきっかけは、自分の傲慢さに気づき、神様に頼らなくては自分

はどうすることもできない、無力だと気づいたことです。これがスピリチュアルペインです。

自分の無力さと神さまに頼るしかないと気づくことです。

 現在の日本では少子化、核家族になりました。死を迎える時、病人は家族と居たいと思いま

すが、現状では人的パワーがなくて病院や施設で死を迎える人が増えています。また現代の自

立と個の確立を大切にする価値観は家族などの絆を薄めています。家族で前もって話し合いを

深めて、普段から家族の絆を深めて行きたいものです。

 現代の課題としての魂の問題を考えたいと思います。精神や心の問題は、精神科医やカウン

セラーのところに行きます。しかし死の問題は精神科では取り上げられません。終末期ガンの

人々は、人生を総決算しようとします。ある人は罪責感に苦しみます。自分の人生は何だった

のかと問います。あるいは和解の必要な人もいます。私は淀川キリスト教病院でチャプレン(

病院付き牧師)をしました。あの病院では、毎朝
8時30分から45分まで毎朝礼拝をします。

院長以下病院の全スタッフが出席し、その様子が病院全体に放送されます。

そこで経験した患者さんのお話をします。肝臓がんの60代の女性が自分は天国に行けるかと

尋ねました。若い時に宣教師から洗礼を受けましたが、結婚後は教会生活をしていませんで

した。お子さんがひとり与えられて、その後にもまた、お腹に宿ったのですが、いろいろの事

情があってその子を産めませんでした。そのことを患者さんは長い間苦しんでいました。私に

言いました。「私は人殺しなんです」と言って大声で泣き出しました。宿った子を産めなかっ

たことを深く悔いてこのままでは死にきれなかったのです。私は十字架のイエスが私たちの身

代わりとなって罪の贖いをして下さったことを告げました。イエス様を救い主と信じることで

私たちは救われるのです。私は彼女と一緒に祈りました。祈って顔をあげると患者さんの顔は

晴れやかになっていました。入院後、
60歳を迎えましたが、しばらくして安らかに亡くなりま

した。すべての罪から赦されて神の子として生まれ変えられたとの信仰に立って、神様のもと

に旅立っていかれました。

 柳田邦男氏も、人は死に臨んで人生の総決算(インテグレーション)すると言っています。

ここでスピリチュアルな問題が大きな課題になります。スピリチュアルとは、霊的という意味

ですが、自分を越えたもの、神秘的な物との関係をさしています。私たちの関係は一般的には

、三つあります。第一は「ワタシとあなた」の関係です。家族との関係などですが、大切なの

は「和解」しているかです。実際には、人間関係がうまくいかず悩んでいる方が沢山います。

両親や息子がうまくいかないケースがあります。

1人の患者さんがおりました。家族を棄てて都会で1人で住んでいました。入院して病状が

落ち着きましたが、ご自分の死を覚悟していました。それで生き別れている家族に会いたいと

申し出されました。調べると九州に家族がいることが解り、電話で事情を説明して家族に来て

いただくことになりました。家族が来る当日、ご本人は緊張していました。病院へ到着する時

刻になるとベットの上に正座をして待っていました。年老いた母と苦労をかけた妻、親の責任

を果たさなかった息子が病室に入ってきました。患者さんは顔をベットに押し付けてあげませ

んでした。自分の生き方を反省し、母や妻や息子に謝りたいと思っていたからです。患者さん

は「皆に迷惑かけてすまなかった」と涙を流して言いました。死に直面して家族との和解を熱

望していたのです。

第二番目には人には「ワタシとわたし」という関係があります。自分を受け入れることは難

しいことです。弱さ、足りなさをもち、さらには狡さ汚さを持つ自分を嫌になることがありま

す。特に病気や挫折などでは自分が惨めに思えて、自分を受け入れられないことが多くありま

す。人を見て羨ましく思ったり、嫉妬する自分がいて、自分が嫌になります。自分とうまく向

き合うのはなかなか難しいものです。

第三番目の関係があります。「ワタシと神様」です。これがスピリチュアルな関係でもあり

ます。神様との関係は、目に見えないのですが、自分のいのちのもっとも深いところで関わっ

ています。イエスさまは、「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためであ

る」(マタイによる福音書
9:13)と言っています。このイエス様の言葉は、自分が失敗したり

挫折したり嫌になった時、私自身を根底から支え励ましてくれる言葉です。共観福音書のすべ

てに書かれている有名な記事です。徴税人マタイは収税所に坐っているとき、イエス様が通り

かかり声をかけてくださいました。「わたしに従いなさい」(マタイ
9:9)と。マタイは、立

ってイエスに従っていきました。ルカによる福音書には、「彼は何もかも捨てて立ち上がり」

(ルカ
5:28)とありますから、非常に劇的な出来事だったと分かります。マタイの人生はイエ

ス様との出会いで喜びの人生に変わりました。徴税人マタイは自分の家を開放して宴会を開き

、イエス様を歓迎しました。イエス様に出会うと神様の愛を感じるのです。神様は罪人で自己

中心的な私たちを救って下さいます。失敗して落ち込んでも神さまは手を差し伸べて掬いあげ

て下さいます。上から目線でなく下から救いの手を差し延べて掬い上げてくださるのです。神

さまが向うから救いの手を差し出して下さるのです。十字架のイエスは徹底的に私たちを救お

うとされているのです。

 現在の日本におけるホスピスのチャップレンの数は、30名位でたいへん不足しています。現

在東北大学宗教学教室が中心となって、スピリチュアルケアの出来る臨床宗教師の養成を行っ

ています。他の大学でも臨床宗教師のような人を養成する機運が起きています。まだ時間がか

かると思いますが、少しずつチャップレンが養成されていくと思います。

 聖書が示すキリストの慰めと救い

最後に一人の末期の肝臓がんの患者のお話をして終わりにします。我儘で毎日奥さんや娘さ

んに不平不満を言っている人でした。病状が進んで歩けなくなってきたある日聖書が読みたい

と希望しました。毎日の礼拝の放送を聞いていたのでしょう。聖書を読むタイプでないと思い

ましたが聖書を貸しました。ところが数日後、訪室すると、「先生聖書は面白いですね。喧嘩

の話も書いてあるのですね」と言い興味を示しました。毎日、キリスト教の院内放送を聞いて

くださいました。そしてあるとき、「自分もクリスチャンになれますか」と聞かれました。教

会にも行かずキリスト教の知識もないのになれるはずがないと思いながらの質問のように聞こ

えました。私は十字架上のイエスが罪人を救うために来たことを話し、これを信じることがで

きればクリスチャンになれることを告げました。すると患者さんは「自分もクリスチャンにな

りたい」と言われました。私は
を取って「神さま、あなたを心に迎え入れることが出来たこ

とを感謝いたします。これからあなたがこの方を養い育てて下さい」と祈りました。次の日、

この患者さんは洗礼を受けられました。クリスチャンになったからといって、病気が癒された

わけではなく病状が進みました。あるとき、「もう自分は治らないと思う」と言われました。

そして、「先生には大変お世話になったので、天国に行った時には先生のために一番良い席を

取っておきます」と言いました。私は本当にうれしく思いました。この患者さんは、少しも死

を恐れていませんでした。自分の行く先を確信し自分の死を語る自由を得たからです。それは

人間の努力ではなく信仰からくるものです。信仰とは人生を神に委ねることです。  

そして死に直面したとき、妻に自分の不実を謝罪し、感謝して逝きました。ご家族も安心して見送ることができました。

 死に直面したとき、自分の行く先を知らずに死にたくないと騒がれると、残された家族もま

た辛く、死後にもその人が今どこに行っているかと心配しなければなりません。

神さまは十字架のイエスを通して私たちを引き受けて下さいます。先ほど読んでいただいた、

コリントの信徒への手紙二第
1811節では、パウロたちがアジア州で耐えられないほどの

ひどい圧迫を受けた時に、自分に頼るのでなく死者を復活させた神に頼ることを述べています

。神に希望をかけると言っています。私たちはいつか死を迎えますが、私たちの人生を神さま

に委ねることが出来ること、神さまが守って下さることを確信し生きて行きたいと思います。

                                                     

(文責:玉澤武之)